1300年の歴史をもつ大島紬


明日5月28日(木)まで聴潮閣1階で開催している「大島紬の展示」本当に素晴しいです。


人間の手と日数をかけて作り出される芸術品である大島紬。

伝統工芸士の田中いさ子さんから、直々に大島紬にまつわる歴史や文化、そしてそれを伝承していくことの難しさなどのお話をお聞かせ頂き本当に勉強になりました。その中でも、織物の伝統的文様が自然を元にデザインされていることを知り、改めて日本人の感性というものに感動しました。


そして、薩摩出身の私が、田中さんから聞かされるまで知らずにいた奄美大島の悲しい歴史。


それは、江戸時代、奄美諸島は薩摩藩の支配を受け、半ば植民地状態の生活を強いられ、人々は米を作ることを許されず、ひたすらサトウキビを栽培させられたそうです。それは、黒糖政策と呼ばれ、薩摩藩の貴重な収入源となっていました。島民の過酷な労働の後に収穫されたものはすべて藩が持ち去り、島民の口にはいることはありませんでした。それに手を出すことは、死を意味しました。これは、大島紬にもいえることで、庶民は着用を禁止されていました。島の方言を島口(しまくち)といいますが、方言を口にするものはスパイとして捕らえられたり殺されたりしました。姓を与えられたものも、本土の人間と区別しやすいように、一字の姓をつけられました。まるで、戦前の日本が併合下の朝鮮半島でしてきた、日本語の強制や創氏改名のようですね。


聴潮閣館長さんしかり、大島紬の田中さんもしかり、日本の素晴しい文化を守ろうとするその姿勢には、本当に感嘆いたします。

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詳しくはこちらの田中いさ子さんの記事をご覧下さい。

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