Yellow


波止場神社と聴潮閣高橋記念館に展示されたサルキス氏の作品には、どちらも様々な種類の黄色が使われている。

サルキス氏にとって黄色は、光、昼(夜に対する昼)、蜜(自然の恵み、暖かさ)の3つの意味が込められており、黄色はサルキス氏にとって特別な色なのだ。

ところで、光や昼といえば太陽の存在があるからですよね。そして、今更ですが私は日本と西欧での太陽に対する色の捉え方が違うことに気づきました。

日本では「真っ赤な太陽」とか「日の丸」というように、太陽は赤で表現されますが、西欧では黄色で表現されるようなのです。それゆえ、フランスの小学校に通っていた子供が太陽の絵を描いた時、一人だけ赤く塗ったたため、フランス人の友達からひどくからかわれるということもあるのだとか。

ところが、自分の昔の絵を見ると太陽は黄色なのだ。私は日本で教育を受けたはずなのですが。。不思議です。

「水のなかの水彩画」を考案したきっかけ


サルキスさんは、葛飾北斎の絵にインスピレーションを受けた映像作品を制作している際、絵の具が水中に降下していく速さが色によって違うことを発見しました。


絵の具の付いた筆を水の入った白い器に静かに入れると、溶けだした赤、黄色、青の3色の絵の具がそれぞれ違う速さで器の底に降下して、まるで絵の具が水の中を旅しているみたいです。


じっくり見ていると、赤が一番速く、青は一番遅いことに気づきます。そして、黄色はそのまん中。


古代から「様式」「作風」「文化」のなかで色は色々な役割を担ってきた。

国、戦争や平和、宗教を象徴し、人間の心理に大きな影響を与えてきた。サルキスさんが滞在されているフランスの国旗には、赤、白、青が使用されていて、それぞれ青は自由、白は平等、赤は博愛の意味が込められている。


下記はキリスト教と仏教での色の捉え方の違いです。


赤;キリスト教では神の愛とキリストの贖罪の血を表す色を象徴し、互いに矛盾する色を持っている重要な色。仏教では創造性と生命の色


黄:キリスト教では多くの場合神聖さを表す(裏切り、恋心の意味があるという説もあり)。仏教では聖なる色。


青:キリスト教では処女マリアはいつも青い服を着た姿で描かれる。仏教では極楽と海の静けさを表す色。



サルキス氏の作品解説


美術評論家でサルキス氏を日本にご紹介された小倉正史氏によるサルキス氏の作品の解説です。

       
まず,アートの作品とはいったいどういうものか,ということから始めなければならないでしょう.この場合のアートの作品は,主として視覚的に認知されるものです(聴覚とか触覚とか嗅覚とか,ほかの感覚器官に感じられるものも伴うことがあります).つまり,英語ではvisual art と呼ばれるものです.

その作品には,言語とかの社会で一般に用いられている記号表現が含まれることがありますが,その場合の作品も(別府ではYoung-Hae Changと重工業の作品がその例になります),全体として視覚的に認知される(目を通して感じられる)ものであって,言語とか記号とかで表されることと合わさって,総合的に視覚的な作品になります.重工業の作品は,ひとつのストーリーがあって,それを理解することができますが,そこにはまた,イメージや色彩,音響,照明などが加わっていて,全体として,そのストーリーを増幅するようにはたらいています.それによって,その作品の前に立つ人に,もしその人に,感じ取れる力があれば,ただ単にストーリーを頭で理解するだけでなく,なにかの感情を心のなかに引き起こすわけです.

なぜ,重工業の作品について,長々と言っているかというと,この作品で語られているストーリーを理解することが,その作品の「意味を理解すること」にはつながらないということを言いたいからです.なぜなら,その作品は,いくつもの感覚器官を通して,言葉では表しつくせないような表現として,全体として人の心にはたらきかけているからです.

要するに,アートの作品とは,
頭で理解して言葉で言い表すことでは,その意味を理解することができないものです.もしも,言葉で言い尽くされてしまったら,その作品は,アートではあっても,アートではないものに近いかもしれません.まず,こういう前置きをして,問題のサルキスの作品に向かいましょう.


聴潮閣の2階の作品では,モニターと鏡が対になって置かれています.ですが,モニターで表されているフィルムのイメージも,サルキスの人差し指の指紋を繰り返して押した鏡も,それぞれ独立した作品です.この二つが向かい合って置かれていること,そしてまた,この二つは,聴潮閣という1929年に建てられた歴史的な建築物の2階の広間のなかに配置されています.
この広間には,高橋家の家系を示す肖像画や円卓も,サルキスの指示のもとに位置を変えて残されています.
また,サルキスは,全体に音がなく,静けさに包まれるように指示しています.つまり,モニターと鏡だけでなく,この2階の広間の全体で,静けさのうちにかもしだす雰囲気が,サルキスの作品となっているとも言えるのです.

これの「意味」を理解することは不可能です.ですが,人が感知したこと(人によってちがうでしょう)にもとづいて,理解とは言えなくても,「解釈」を試みることは,ある程度はできるでしょう.これは,私が試みる個人的な解釈です.(人によっていろいろな解釈がありえます.)そのための「鍵」のようなものはいくつかあります.床の間の掛け軸に描かれた人物像は,モニターのなかの,葛飾北斎の白拍子の像と,それほどちがった風には描かれていません.サルキスが北斎の版画にもとづく「水のなかの水彩画」を自分の数多くのフィルム作品のなかから選んだのは,別府に残された歴史的な建築物が物語る日本の伝統文化に敬意を持ち,そのことを示したかったということがあったと思います.


鏡は,モニターのなかの,
白拍子の赤い袴を水のなかに移し入れるように動く筆と,絵の具がゆっくりと広がる動きを反映する位置に立てられていますが,鏡の表面は何百もの指紋(数種類の黄色の絵の具による)によって覆われ,はっきりした反映像を見ることはできません.これは,白拍子の描かれた時代と現代の鏡とのあいだの時間のへだたりを表しているのかもしれません.あるいは,桜の花びらに似た指紋の散らばりで,白拍子のあでやかな姿を包みかくしているのかもしれません.いずれにせよ,鏡の前に立つ人は,自分の身体でモニターの映像が鏡に映るのを隠してしまいます.そして,指紋によって鏡の表面を見ることと同時に,鏡が映している自分がその表面の奥に取り込まれて映っているのを見ます.鏡に表面と奥行きがあることに気がつくのです.鏡のなかの距離に気がつくということでしょうか.そうすると,時間的な距離と空間的な距離の両方が,このモニターと鏡の配置によって示されているのでしょうか.広間の空間のなかに包まれた,さらに広がりを感じさせる静かな世界.たぶん,そのような世界のなかに自分がいるということを感じさせるかもしれません.


また,サルキス自身の言葉も解釈の「鍵」になります.人と人,
人と物,さらには物と物とのあいだの対話.これはまた,サルキスが言う「transmission」(伝達)が重要だということにつながります.対話があれば,それによってなにかが伝えられます.どういうことが伝えられるのか,それを考えるのが解釈ということでしょう.

そこでまた,サルキスにとっての重要なテーマ,「記憶」という言葉が鍵になります.サルキスがアートと最初に出会った体験,少年のころにエドヴァルド・ムンクの「叫び」の複製から衝撃を受けたこと,その思い出を語っていたことを思い出されるでしょう.かつてあったことで,いまだに自分のなかで大切なこととして残されている記憶について,私たちに彼は語り,そのことを伝えたのでした.そのように大切なものとして記憶される出来事や物が,だれにでもあるでしょう.そして,それについて伝えることで,ほかの人がその記憶を共有するようになります.大切なこととして記憶されたことが,人から人へ,時間の経過のうちに伝えられることが,伝統となり文化となるのでしょう.

サルキスの作品の特徴のひとつは,そのように伝えられる記憶の重要性を強調していることです.記憶するということは,心のうちに,なにか「跡」(trace,痕跡)のようなものを残すということでしょう.そこで,サルキスの作品で,「跡」にたびたび出会うことになります.鏡の表面の指紋がそうです.それは,絵の具をつけた指の「跡」なのです.心のうちに残される「跡」を,目に見えるような実際の「跡」にしたものでしょう.

また,波止場神社の,水が蒸発して残される絵の具もそうです.水が蒸発する時間の経過によっても消え去らないで跡として残されるもの,それが記憶として残されるものを比喩的に表していると言えるでしょう.

では,なにが,記憶として残されるべき大切なものでしょうか.聴潮閣の2階では,それが暗示されているように思えます.時間と距離を隔てたもの,亡くなられた方の肖像画や,北斎の白拍子,いま鏡の奥に映っている自分といった,広間のなかにあるもののあいだの対話,そうした対話で伝達されるなにか言葉では表し切れないものが,静かな空間のなかで感じとれること,そうした時間を持つことが人には重要だということではないでしょうか.                

サルキススタンプ


エンジェルTシャツと同じデザインのサルキススタンプ(写真左)

There is paradise in Beppu


サルキスさんご夫妻よりアトリエに参加された皆様、そしてエンジェルのみんなへ暖かいメッセージを頂きました。

「This morning with my wife we looked all the images that angel send us: This is paradise !.
The beauty came with all the Angels together, with ALL the people they participated to this adventure.I am realy very happy, my wife also. We are very very happy.」

Sarkis, also Madam(メール内容を一部抜粋)

また私よりもエンジェル代表として、アトリエに関わって下さった皆様にお礼申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

Ayaka  2009.6.17

ムムエンジェルの作品 その3

聴潮閣の空
アヤカの作品
小さな水の都

おしまい

水のなかの水彩画@波止場神社  6月13日

アトリエ最後の土曜日、今日は特別にサルキス氏の作品が展示されている波止場神社の本殿の前で「水のなかの水彩画アトリエ」を開催しました。ゴージエンジェルとミドリエンジェルのアトリエはどうだったでしょうか。

水のなかの水彩画@聴潮閣 6月13日

今日も最高のお天気。紅葉と太陽の光がとっても綺麗。
驚いた事に、毎週土曜日のアトリエ開催日に傘をささなきゃいけないほどの雨は一度も降りませんでした。よかったよかった。

キャプテンエンジェルの遊び心

川端康成さんの作品
島津彩香さんの作
グリーン&リーフ
今日の主役、赤紫の紫陽花

明日は最後のアトリエ


明日はとうとう最後のアトリエになります。

ということで、サルキス氏の作品が展示されている波止場神社でもアトリエを開催します。
黄色い器が64個並んだ本殿の前で、「水のなかの水彩画」をぜひ体験してみて下さい。

*通常通り聴潮閣でも10:00〜17:30(受付17:00)にアトリエを開催しています。

<波止場神社でのアトリエ詳細>
日時:6月13日(土)14:00〜17:00
場所;波止場神社

水の器


アトリエの机のまん中には、いつもお花が飾られています。
何を描こうか迷ったときのヒントになるように

梅雨に最も美しい花を咲かせる紫陽花
曇り空のアトリエを華やかにしてくれます
聴潮閣のお庭にもガクアジサイはじめ、いろんな紫陽花が咲いています。

紫陽花は緑、白、青、赤紫…と、開花するにつれて色変わりすることから、七変化とも呼ばれたりもします。日本での紫陽花の花言葉は「移り気」、フランスでは「忍耐強い愛情」「元気な女性」

学名は「ヒドランゲア」。これはラテン語で「水の器」という意味だそうです。アトリエにぴったりの名前だなあ。


出張「水のなかの水彩画@小学校」6月11日


今日の中央小学校でのワークショップ!先生はシモダエンジェル〜
子供たちがきちんと体操座りをして、ちゃーんとお話を聞いています!すごい〜☆
そして、今日はメディアのCTBさんもアトリエに来られました。放送は来週の月曜6月15日の予定とのことです。

バニーコルアート株式会社


サルキス氏は、アトリエ開催にあたり、最も美しく水の中で広がる絵具としてウィンザー&ニュートン アーチスト・ウォーターカラーを指定されました。そして、この絵具を提供、サポートして頂いたバニーコルアート株式会社のHP「水のなかの水彩画アトリエ」紹介して頂いています

ありがとうございます。


聴潮閣の玄関


正面玄関は、車寄せが前方に大きく突き出て、門を入ると堂々たる2間間口の式台付玄関が迎えてくれる。
かつて武家にしか許されなかった最も格式の高い構えである。正面棟の鬼瓦には一富士二波、三紅葉が浮き彫りされており聴潮閣と名付けられたこの建物への建て主の願いがこめられている。



「式台玄関」とは?

江戸中期、武家でも旗本以上の屋敷にしか、許されませんでした。一般農家では由緒ある名主・庄屋は藩・天領地の末端組織的役割・機能をもっていたので式台のある玄関がみとめられていました。現代の和風建築の玄関と異なる点は土間から30センチ位の高さに間口二間~三間、奥行き半間の立派な材料で仕上げた板の間風の部分が「式台」といい、その先少し上段に上り框(舞良戸用の敷居)から玄関の間を経て来客身分によって使う座敷が変わり案内します。屋敷周囲は長屋門、棟門・築地塀など厳重に囲まれているので今の玄関のような鍵付き玄関戸・扉はなくオープンで、領主や役人が「おなり」の場合にしか使わない玄関ですから「駕籠」が式台に直接横付けされるようにもなっています。家族や同格以下の来客は「くぐり戸から内玄関・大戸口・土間」など利用されました。